オバマ大統領 広島訪問
『オバマ大統領広島訪問 17分間の演説』
ニュースに関するコメント
5月27日、米大統領 バラク・オバマ氏 は被爆地である広島を訪問し、約17分間にわたって演説を行なった。
現職大統領で初の広島訪問
1945年8月6日に広島へ、同年8月9日に長崎へ原爆が投下されてから71年、初めて米国の現職大統領が広島を訪れた。
今までに広島を訪問した、米大統領経験者
米国の大統領経験者がどのくらい広島を訪問したことがあるのか気になって、少し調べてみました。(もし他の 広島を訪問したことのある米国大統領経験者 を知ってる方がいらっしゃったら、お知らせください)
- リチャード・ニクソン氏... 1964年4月11日訪問
「私にとってヒロシマはいままで単に都市の名前にしかすぎなかったが、市民に接して生きた思い出となる。ヒロシマは一つの時代を終わらせ、平和への約束をもたせている町だ」
- ジミー・カーター氏... 1984年5月25日訪問
カーター氏は原爆資料館を見学し、資料館の芳名録にこう記したそうです。
「この記念館は平和とよりよい理解に向けての努力を永遠に思い起こさせるものでなければならない」
また、見学の後こうも語ったそうです。
「ヒロシマの教訓は決して忘れてはならない」
広島を訪問した米大統領経験者は、(公になっている訪問については) ふたりしかいなかったんですね・・・
もう少し多いと思ってました。
以下のリンク先に広島を訪れた米国政府の高官の方々の言葉がまとめられています。
オバマ氏自ら何度も推敲
ホワイトハウスの当初の説明によれば、オバマ氏が広島で数分程度の所感を述べる予定になっていたが、実際は約17分の演説となった。
現職米大統領として初の被爆地訪問に際しての思いを表現する上で、オバマ氏自ら慎重に言葉を選んだ様子が見て取れる。
演説の内容について
オバマ氏の演説の全文に関しては、以下のリンク先を参照。
<日本語>
<英語>
演説内容のうち、私の心に響いたのは以下の部分です。
「広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。」
「被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。」
「私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。」
私達は、忘れずにいることができるでしょうか?...
より良い未来を選び取ることができるでしょうか?...
それぞれの反応
オバマ米大統領の広島訪問に対してどのような反応がおこったか?
参考になったwebページをリンクします。
(それぞれのページで、有る程度のベクトルがかかっていることは確かです。気になる方は、関連する他の情報も参照されることをお薦めします。)
- 被爆を経験された方々
<キャッシュです>webcache.googleusercontent.com
- 実際に爆撃の任務についた米兵の親族
- 各国のメディア
- その他の日本人
個人的所感
私自身は、戦争を経験しておらず、被爆された方を親族に持っているわけでもありません。戦後に生まれたごく平凡な日本人のひとりです。
そんな私の、今回のオバマ氏の広島訪問に対する個人的な所感としては、以下の通り。
-
オバマ氏の広島訪問は英断であった
アメリカ国内では、いまだ原爆投下肯定派が強い社会的影響力をもっていると推察されます。そんな状況だからこそ今まで現職の大統領は、広島・長崎への公的な訪問を避けてきたのでしょう。オバマ氏が先例をつくったことで、広島訪問がタブー視される風潮も相当緩和されるのではないでしょうか? また、オバマ氏の「核なき未来」への意志も、いっそう明確にアピールされたことと思います。
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米国大統領として、広島(日本)に対する謝罪がなかったが、これで良かったのではないか?
本音としては米国代表として、謝罪がなかったことを残念に思っている人間は多いと思います。ただの言葉でもいいから、それ(謝罪)によって心が晴れる人達もいるでしょう。ただ私はどうしても懐疑的なので、言葉だけでの謝罪を信用しきれないし、大統領個人が反省してても意味ないだろうと思ってしまいます。本心はどうあれ、アメリカの政治指導者には、2度と核が兵器として実用されることのない世界の実現に向けて行動して欲しいし、米国民には、核兵器を実戦で使用した唯一の国であることを忘れて欲しくありません。
真珠湾を忘れるな
ネットのどこかで、「広島・長崎を忘れるなと言うのであれば、真珠湾のことも覚えてるんだろうな?」という意見を目にしました。たしかに一理あります。
詳細については、ソースによって違った事実が語られています。なかなか興味深いので、ご自身で調べてみるのも面白いと思います。
人類は核と訣別することができるのか?
私は、核兵器は完全撤廃するべきだと考えています。
その最大の理由は「核戦争に勝利者は存在しない」からです。
米国のみが核兵器を保有していたときとは違い、どこかで核兵器が発射されれば、即座に報復の核が発射され、連鎖的に核が散発されることになるでしょう。そうして訪れる未来は、映画やアニメのような悲惨な世界です。そこに勝利者は存在するのでしょうか?
第2の理由は、「リスクマネージメントと経済的コスト」です。
大量の核弾頭を永続的に安全に管理できるのか?もし事故が起こったら?施設や潜水艦等を含め維持管理の費用はどのくらいかかるの?...やっぱり私達の社会には手に負えないシロモノに思えてきます。また、軍需産業においては核兵器の代わりに、通常兵器の開発・販売にコストを割いた方が圧倒的に儲かる。との意見も聞いたことがあります。根拠となるソースを示せないので推論ですが。
第3の理由は、「戦闘行為のパルチザン化」です。
核保有国に対して外交の最終手段としての戦争行為を選択することは非常に難しいことであると思われます。それゆえに大国に対しては正面からの宣戦布告は行なわれず、局地での紛争はゲリラ化し、テロはますます頻発すると推論することもできます。
*これに対して貴重な意見をいただきました*
「東西冷戦の終結後、民族紛争が多発している。逆に言えば冷戦(核による水面下の闘い)は紛争を少なくすることに資していたのではないか?」
との見解です。
「もし人類は核を持たず、冷戦が起きていなかったとしたら、紛争は多かったか?少なかったか?」
これに関しては、すぐに答えることができず、今後も折々で考えていきたいと思いました。
これはまた、「テロに対する抑止として核は必要だ」という論理が正しいかどうかの考察にもなると思います。
第4の理由は、「人道的な問題」です。
綺麗事をのたまうようですが、やはり一瞬にして多くの人々を絶命においやり、長期間深い爪痕を残すような兵器が地上に存在することに、私は嫌悪を覚えます。
日本はすでに、アメリカの傘の下からはずれてしまっていると私は思います。
「日本に攻撃すれば、アメリカから報復がある(核に対しては核で)」という認識が、すでに多くの国から薄れてしまっているように感じるからです。
日本が単独で行なうべき、最も有効で、現実的な対策として、「日本はその気になれば1昼夜で核兵器を実用段階までもっていける技術力がある」と他国に認識させておくべきだと思いますが、昨今の原発問題もあり非常に難しくなってしまったように思います。
矛盾するような意見ではありますが、現時点では「核兵器に転用可能な科学技術」を日本は放棄するべきではないと思います。
「現実をしっかりと捉えた上で、理想を追いかける。」
とてつもなく困難なことに思えますが、人類はそのための知恵を生み出さねばなりません。
ひょっとしたら、現生人類がこの世に存在しているうちに、核兵器の全てはなくならないかもしれません。しかしその歩みを止めることは許されないのです。唯一の被爆国の国民としてはなおさらです。